教養としての「税法」って?

タイトルだけ見ると難しそうな本に感じてしまうかもしれませんが、読んでみると意外とそんな難しい話ではありませんでした。

その点は、「入門」というタイトル通りという感じです。それに、読んでみるとこれが結構面白かったです。

税金に関する本だと、そのほとんどが「節税」というものに焦点を当てていることが多いものですが、こういう本も読んでみると「なるほどなぁ」といろいろ思わされました。税金の話を法律という視点から展開していくところが新鮮でした。

今の税制がどのような成り立ちからできていて、どういう原則のもとに制度運営されているのか、意外と知らない事ばかりで面白かったです。

税金の制度は、法律であるということを改めて認識。

本書の最初に、『武富士事件』というものが取り上げられていました。

言い方は悪いのかもしれませんが、「巨額の相続税を回避するために、海外に居住地を移して贈与税がかからないようにした」、というちょっと悪質ともとれる節税行為の事件です。

お金持ちが、租税回避のために、法律の抜け穴をつかって故意に課税を逃れようとした話なので、我々一般の人の感覚からしたら、「こんなことが許されるなんて、ずるい」と感じてしまう事件でした。

ですが、日本の税制は、『租税法律主義』という原則があるので、法律できちんと定義していたかどうかの方が重要で、「感覚的にずるい」というような、良い悪いの判断の仕方は全く関係ありません。

実際にこの武富士事件では、最高裁で国税庁側の意見は認められず、相続税を逃れた武富士側が勝利したのだそうです。

この話を読んで、日本の税金は、あくまでも法律というものが大前提にあるんだという事を改めて知りました。

日本の税制は、不可解?

本書の中でも説明していましたが、日本の税金の制度は、一般の人があまり触れることがないような制度設計になってしまっています。

たとえば、会社に勤務している給与所得者の人のほとんどは、自分がいくら税金を納めているのかさえあまり認識していないことも多いです。

日本の税制には、源泉徴収制度と年末調整という制度があるので、税金を納める本人のよく知らないところで、会社が納税者に代わって一年間の税金の確定から納税までを代行してくれています。

そのおかげで、会社員にとっては、なんの手間もなく税金の手続きが終了するわけですが、その逆効果として、会社員の人は、自分がどれだけ税金を納めているのかを意識することがなくなり、中には自分が税金を納めているという実感さえないこともあるようです。

本来、日本の所得税の原則である申告納税制度というのは、納税者が自分で納税額を申告して、その税額を納税するというものであるはずです。そして、場合によっては、住宅ローン減税のように、納税額を軽くできる税制があれば、その制度を活用して納税額を減らすことも許されています。

本書を読んでいて感じたのは、そもそも税法というのは、自分の納める税金の額を、制度などを活用して、減らしたりする工夫が自由にできるという法律なんだということを感じました。

それなのに、源泉徴収や年末調整という制度によって、税金が身近な存在と感じられないようになってしまっていて、とても残念なことのように思えました。

だからこそ、本書のタイトルが「教養としての」という言葉になったのかもしれません。

この本は、タイトルを見るからには、なんか難しそうな話なのかなと思ってしまうかもしれませんが、私たちの国を形作るのにとても重要な役割を持つ『税金』という存在を、私たちはもっと知っていてもいいのかもしれません。

本書は、思っている以上に読みやすく、そして面白い話だと思います。

私たちの払っている税金のことを知るのに、この本はとてもいい勉強になることと思います。