お金管理の歴史。

「会計」という言葉を聞くと、なんとなく苦手意識を持っている人も少なくないようです。さらに『複式簿記』という言葉に対しては、なんのことかよくわからないという人も少なくないようです。

一般的に家庭で利用されるお金管理の方法として、家計簿があります。その家計簿は、基本的に収入と支出をつけることが目的です。ところが『複式簿記』となると、収入と支出だけでなく、今保有している資産の中身や負債なども明確になるようになっています。

その仕組みは、本当に見事で、まさに「数字は嘘をつかない」という言葉がピッタリだと感じられるほどです。

この複式簿記ですが、これほどまでに素晴らしいお金管理の仕組みであるのに、歴史上では、なかなか受け入れられなかった時代もあったようです。

複式簿記は、財産やお金を管理する方法として、とても便利な方法ではあったものの、財政内容など本来見られたくないものまで明確にされてしまうため、当時の王様などの権力者たちは、複式簿記の本格的導入を避けていたのだそうです。

そんな時代であっても、メディチ家のような当時の富豪たちは、『複式簿記』を活用することで、莫大な財産を築いてきました。特にメディチ家に至っては、その高いお金管理の能力も功を奏して、歴史に名を残す権力者にまでになりました。

まさに、お金管理の能力によって権力さえも手に入れることが出来る、『権力とは財布を握っていることである』の通りです。

本書は、会計という視点から歴史を見ることで、お金管理の能力が歴史にどう影響してきたのかということを知ることが出来る面白い本です。

会計は、経済成長とともに発展してきた。

会計の歴史を見ると、経済の発展とともに、高度化し、複雑化していったことがわかります。大航海時代のような貿易の時代には、出資者の分け前を正確に計算するのに会計がつかわれ、鉄道の時代になると、その設備投資にかかる莫大なお金を管理するために、より高度な会計が使われるようになってきました。

そしてさらに、金融の複雑化とともに、より複雑な会計システムが必要になっていきました。まさに経済と会計には、深い関係性があるということの証拠です。

経済の発展が会計を発展させたのか、それとも会計が発展したことで、経済が発展してきたのか。「鶏が先か、卵が先か」みたいな関係性です。

会計システムの歴史をたどることが、これほど面白いとは思いませんでした。

会計の根本には責任という重要なポイントがある。

本書を読んで感じることは、どの時代でも、会計に責任を持つということでした。

『正しい会計』、『透明性のある会計』、それが欠如したとき、歴史上で大きな事件が起こってきたということを考えさせられます。

当時、絶対王政の絶大な権力を持っていたフランスの王。彼らでさえ、透明性のある会計をあまり重要視してこなかったがために、フランス革命によって断頭台に送られることになってしまった。

負債の大きさを無視し、贅沢してきたことへの罪。その事実を、国民に「会計の数字」として知れ渡ったとき、国民の大きな怒りを買うことになってしまった。

言われてみれば当たり前のような話にも聞こえます。しかしこの問題は、昔の話で終わりにしてはいけません。今の時代でも、そして私たち個人個人の問題としても、終わることなく続いています。

本書では、現代の会計責任の問題点を、次のように書いています。

『経済の破綻は、単なる景気循環ではなく、世界の金融システムそのものに組み込まれているのではあるまいか。金融システムが不透明なのは、決して偶然ではなく、そもそもそうなるようにできているのではないだろうか』

責任ある、正確で、透明性のある会計というのがどれだけ難しい話なのかということを象徴している言葉です。

本書を読むことで、簿記や会計というものが、これほど歴史や経済に深くかかわっているということを知ることが出来ました。いろいろと新たな視点を与えてくれた、とても興味深い本でした。